人生とオムレツは、タイミングが大事
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渡辺文樹監督の「天皇伝説」、結局、観に行ってしまいました。
10月19日の関内ホール。この日は、横浜で4日間行われた上映会の最終日でした。
上映までに、すったもんだの、この映画。
横浜上映初日の14日、会場の横浜市開港記念会館まで、近くに来る用事があったついでに(実は、無理やり用事をつくって)、様子を見に行くと、周辺には多数の機動隊や警官、正面の道路は警察車両が横づけで車線封鎖、その周りを大音量で渡辺文樹批判を流して走る右翼の街宣車、と、かなり、緊迫した状況。
なので、当日は、緊張して、関内ホールへ向かったのですが、この日は、周囲に数人の警官、ロビーに鋭い目つきの人(これは勝手にそう思っただけかも)はいるものの、右翼の車は見当たらず。日曜の夜のビジネス街らしい静けさで、ほっとすると同時に、ちょっと拍子抜けでした。
観客は、思ったより多く、50~60人くらい。
映写機の前には渡辺文樹監督その人。自らが、映写機をまわします。
やがて、場内が暗くなり、渡辺監督の前口上。
いろいろと調べていくうちに、天皇は一子相伝ではないことを知った。これは映画だからアクションなどの要素もあるけれど、そのことはメッセージとして織り込んであるから、しっかり持ち帰ってほしい、と。
いよいよ、映画がスタート。
音声が聞きづらい…。
ナレーションの渡辺監督の声がこもって聞こえ、トーンが低くなると聞きとれない。実物の渡辺監督の声はよく通るのですが。
また、失敗だったのが、渡辺監督に引き寄せられるかのように、映写機の近くに座ってしまったこと。作動音が大きくて、これも、聞きとりにくい一因でした。
映画の内容は、無実の罪で捕まった男(渡辺文樹)が、なぜ自分が捕まることになったかを調べていくうちに、天皇に関する秘密にたどりつき、巨悪と対決する、といった感じ(たぶん)で、もちろん、フィクション。
渡辺監督が、持ち帰ってほしいと言っていた、天皇の“真実”は、途中途中のナレーションで語られるため、聞きとりにくくて、よくわからず。
よくわからないまま、映画は、敵との対決、つまりは、クライマックスへ。
ここでも、この人は敵らしい、というのは、なんとなく、わかるんだけど、どんな類の敵なのかが、いまひとつ、わからない。
展開も、また、よくわからない。なぜ、ここで、セスナ?なぜ、ここで、カーチェイス?なぜ、ここで、ロープウェイ?
きっと、声が聞きとれていても、わからなかったのではないかと。
でも、そんな、わかりにくさも、そして、映画というより単なるフィルムといった方がよさそうな家内制手工業感も、すべては覚悟の上。
なので、わからないなりに、結構、楽しめたと思います。皮肉ではなく純粋に(本当の本当に、純粋かと問い詰められると、少し困るかも)。
結局のところ、この人は、天皇について何か訴えたいというより、それをとっかかりに、面白い映画(しかも、あくまで自分が面白いと思う映画)がつくりたいだけなんだろうな、と。仮に、真剣に訴えてるとしても、そのリアリティは、後半の、手づくり感あふれるアクションシーンに、あっけなく、吹き飛ばされます。
そんな感じだから、上映するのしないので揉めるような映画とはいえないはずなのに、ここまで騒ぎが大きくなったのは、ひとえに、渡辺監督ならではの、はったりのせい。
例えば、確かな証拠なしに、現在の第二皇子を“不倫の子”なんていってしまうのは、天皇批判とか、そういう問題以前に、さすがに、たちが悪いんじゃないかと思います。
本来なら、こんなことにまで、「表現の自由」などという言葉を使うべきではないと思うのですが、こういった、いかがわしさ、というか、うさんくささ、というのも、ひょっとしたら、エンターテインメントのひとつの形としてありえるのかも、と思ったりして(例えば、東京スポーツの見出しみたいな(笑))、だとしたら、それを排除してしまうのも、なんだか味気ないような気もします。
まあ、どの辺まで許せるのかは、とても、難しいし、うさんくさいものだらけになっても困るわけなのですが。
横浜での4日間の上映会は、無事(?)に終了しましたが、続く、東京での上映会は、また、中止。
渡辺文樹監督の“たたかい”は、まだまだ、続くようです。
もっとも、その“たたかい”があるからこそ、作品が話題になって、ある意味、価値が上がるともいえそうで、渡辺監督としては、してやったりなのかもしれません。意識してるかどうかは、さておくとして。
10月19日の関内ホール。この日は、横浜で4日間行われた上映会の最終日でした。
上映までに、すったもんだの、この映画。
横浜上映初日の14日、会場の横浜市開港記念会館まで、近くに来る用事があったついでに(実は、無理やり用事をつくって)、様子を見に行くと、周辺には多数の機動隊や警官、正面の道路は警察車両が横づけで車線封鎖、その周りを大音量で渡辺文樹批判を流して走る右翼の街宣車、と、かなり、緊迫した状況。
なので、当日は、緊張して、関内ホールへ向かったのですが、この日は、周囲に数人の警官、ロビーに鋭い目つきの人(これは勝手にそう思っただけかも)はいるものの、右翼の車は見当たらず。日曜の夜のビジネス街らしい静けさで、ほっとすると同時に、ちょっと拍子抜けでした。
観客は、思ったより多く、50~60人くらい。
映写機の前には渡辺文樹監督その人。自らが、映写機をまわします。
やがて、場内が暗くなり、渡辺監督の前口上。
いろいろと調べていくうちに、天皇は一子相伝ではないことを知った。これは映画だからアクションなどの要素もあるけれど、そのことはメッセージとして織り込んであるから、しっかり持ち帰ってほしい、と。
いよいよ、映画がスタート。
音声が聞きづらい…。
ナレーションの渡辺監督の声がこもって聞こえ、トーンが低くなると聞きとれない。実物の渡辺監督の声はよく通るのですが。
また、失敗だったのが、渡辺監督に引き寄せられるかのように、映写機の近くに座ってしまったこと。作動音が大きくて、これも、聞きとりにくい一因でした。
映画の内容は、無実の罪で捕まった男(渡辺文樹)が、なぜ自分が捕まることになったかを調べていくうちに、天皇に関する秘密にたどりつき、巨悪と対決する、といった感じ(たぶん)で、もちろん、フィクション。
渡辺監督が、持ち帰ってほしいと言っていた、天皇の“真実”は、途中途中のナレーションで語られるため、聞きとりにくくて、よくわからず。
よくわからないまま、映画は、敵との対決、つまりは、クライマックスへ。
ここでも、この人は敵らしい、というのは、なんとなく、わかるんだけど、どんな類の敵なのかが、いまひとつ、わからない。
展開も、また、よくわからない。なぜ、ここで、セスナ?なぜ、ここで、カーチェイス?なぜ、ここで、ロープウェイ?
きっと、声が聞きとれていても、わからなかったのではないかと。
でも、そんな、わかりにくさも、そして、映画というより単なるフィルムといった方がよさそうな家内制手工業感も、すべては覚悟の上。
なので、わからないなりに、結構、楽しめたと思います。皮肉ではなく純粋に(本当の本当に、純粋かと問い詰められると、少し困るかも)。
結局のところ、この人は、天皇について何か訴えたいというより、それをとっかかりに、面白い映画(しかも、あくまで自分が面白いと思う映画)がつくりたいだけなんだろうな、と。仮に、真剣に訴えてるとしても、そのリアリティは、後半の、手づくり感あふれるアクションシーンに、あっけなく、吹き飛ばされます。
そんな感じだから、上映するのしないので揉めるような映画とはいえないはずなのに、ここまで騒ぎが大きくなったのは、ひとえに、渡辺監督ならではの、はったりのせい。
例えば、確かな証拠なしに、現在の第二皇子を“不倫の子”なんていってしまうのは、天皇批判とか、そういう問題以前に、さすがに、たちが悪いんじゃないかと思います。
本来なら、こんなことにまで、「表現の自由」などという言葉を使うべきではないと思うのですが、こういった、いかがわしさ、というか、うさんくささ、というのも、ひょっとしたら、エンターテインメントのひとつの形としてありえるのかも、と思ったりして(例えば、東京スポーツの見出しみたいな(笑))、だとしたら、それを排除してしまうのも、なんだか味気ないような気もします。
まあ、どの辺まで許せるのかは、とても、難しいし、うさんくさいものだらけになっても困るわけなのですが。
横浜での4日間の上映会は、無事(?)に終了しましたが、続く、東京での上映会は、また、中止。
渡辺文樹監督の“たたかい”は、まだまだ、続くようです。
もっとも、その“たたかい”があるからこそ、作品が話題になって、ある意味、価値が上がるともいえそうで、渡辺監督としては、してやったりなのかもしれません。意識してるかどうかは、さておくとして。
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