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人生とオムレツは、タイミングが大事
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 7月17日、競馬は首都圏を離れていて、この日の東京競馬場は、パークウインズ。
 開催のない競馬場に来るのは、ずいぶんとひさしぶりのこと、目的は、競馬ではなく、オグリキャップ追悼の献花台。競馬場に、花とにんじんを持って来ることがあるなんて、思ってもみませんでした。

   - ☆ ・ ☆ ・ ☆ -

 東京競馬場でオグリキャップをみたのは、89年の毎日王冠、ジャパンカップ、90年のジャパンカップ、そして、一昨年秋のお披露目のとき。それ以外にオグリキャップをみたのは、89年、中山競馬場のオールカマーだけなので、自分にとって、オグリキャップの思い出といえば、東京競馬場なのです。
 中でも、いちばん印象に残っているのは、やはり、89年のジャパンカップ。

 当時のジャパンカップは、外国馬断然優勢(そんな時代もあったのです)。その中を、直線、敢然と、ホーリックスを追ってくるオグリキャップ。スタンドのヒートアップは、それはもう、すごかった。自分の叫ぶ声も聞こえないほどの大歓声。
 わずかに届かなかったオグリキャップに天を仰ぎ、しかし、タイムの 2'22"2 に驚き、ターフビジョンで流れるリプレイの2頭並んだゴールの大写しに湧き、レースが終わっても競馬場の興奮はさめやらず。
 やがて、戻ってきたホーリックスに、スタンドから、期せずしての大拍手。派手なウイニングランをしたわけではなく、普通にダートコースを戻ってきただけなのに、みんな、しっかりと見ていました。待っていました。
 そして、続けて戻ってきたオグリキャップに、さらにすごい、まさに割れんばかりとしか言い様のない、大々拍手。
 中穴の結果に、馬券をとった人は、そう多くはなかったはず。それでも、史上に残る名勝負に、競馬場全体が、心から、ホーリックス、そして、オグリキャップを称えていました。

 懐古主義といわれるのは承知の上、あの頃の競馬場は、よかった。
 鉄火場のイメージはやわらぎつつあり、ミーハー(失礼(汗)!)の流入もそれほど多くはない頃。ファンファーレでの手拍子もないし(いまだに好きになれない…)、レース後のコールもないけど(これは時と場合による)、純粋に、“競馬”自体が盛り上がっていた時代だったと思います。
 そして、自分にとって、オグリキャップは、時としていわれる“バブルの申し子”なんかでは、決して、なく、この古き良き競馬の時代の象徴であり結晶なのです。

 あのジャパンカップの日、東京競馬場にいることができたのは、本当に幸せでした。

   - ☆ ・ ☆ ・ ☆ -

 そんな思い出にふけりつつ、献花台の前に立ったのは、早い時間、まだ、1Rが始まる前。
 それでも、すでに、素敵な花が置かれていて、比べると、自分の花は、あまりにつつましく、恥ずかしいので、端っこの方へ。記帳簿には、献花台の前に飾られたポスターの言葉と同じ言葉を残してきました。

 さて。
 目的が競馬ではないといいつつ、競馬場に来て競馬をしないで帰れるほど人間ができているわけは、もちろん、ないわけで。
 最初は午前中で帰るつもりが、普段は行かない4コーナーの方や内馬場に行ってみたり、普段は買う余裕のない岩手競馬の馬券も買ったりして、馬のいない競馬場を、しっかりと堪能、結局、いつも通り、最終レースまでいたのでした。よく晴れた中、人気のないスタンドで、風に吹かれながら、のんびりと飲むビールがおいしかった(笑)。
 馬券は、いつもより、さらにささやか、16Rで1,600円使って、12R的中(!)1,820円の回収。オグリキャップへのにんじん代くらいにはなったかな。

 花を置いた後も、時々、見に行った献花台は、並ぶまではいかないけれど、大抵、花を置いたり記帳したりする人がいて、最終レースが終わる頃には、台いっぱいの花。
 オグリキャップは、いつまでも、オグリキャップです。
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