人生とオムレツは、タイミングが大事
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ビデオに録ろうと思ってたけど、録ると、後で見ればいいやってなって、後で見ればいいやってなると、なにせ、三話あわせて8時間以上、面倒になって見ないであろうことは、火を見るより明らかで、三谷幸喜好きとして、それはあるまじきこと。
なので、がんばって、金・土・日の3日間、夜9時からの2時間超、毎日、きちんと、テレビの前へ。最近は、決まった時間に、しかも、定期的にテレビを見るということを、あまり、していないので(除く競馬中継(笑))、なんだか、新鮮な感覚でありました。
ホームドラマという題材ゆえか、三谷作品初登場の役者さんが多かったせいか、いつもの三谷さんのカラーは、やや、薄かったような印象。
とはいいつつ、名だたる役者をこれでもかと揃えながら、浮かれた豪華さを排し、それでいて、皆の存在感をきっちりと際立たせる(誰ひとりムダに思わせない)、見事な交通整理は、さすが、三谷さん(もちろん、役者さんの力もすごい)。ところどころの笑わせどころも、やはり、コメディライター、らしさがありました(つるちゃんの、流転しながら八面六臂の活躍は、「新選組!」の捨助かと(笑))。
昭和の事件や著名人を次々と折りこみながらの展開も面白く、シリアスなドラマであれば、途端に嘘くさくなるところ、コメディならではの“説得力”で、大胆に見せ切った感(「わが家の歴史」をコメディというわけではないけれど(笑))。なんというか、コメディのもつ可能性、そして、底力をみることができた気がします。
ビデオに録らなくて(そして、録りっぱなしにならなくて)、よかった。リアルタイムで見ることによる高揚感も感じることができたし(生放送じゃなくてもそういう感じってあるんだなぁ、と)、3日間、8時間超、テレビに捧げた甲斐が、十二分にありました。
三谷さんの新境地にして真骨頂のドラマだったと思います。
なので、がんばって、金・土・日の3日間、夜9時からの2時間超、毎日、きちんと、テレビの前へ。最近は、決まった時間に、しかも、定期的にテレビを見るということを、あまり、していないので(除く競馬中継(笑))、なんだか、新鮮な感覚でありました。
ホームドラマという題材ゆえか、三谷作品初登場の役者さんが多かったせいか、いつもの三谷さんのカラーは、やや、薄かったような印象。
とはいいつつ、名だたる役者をこれでもかと揃えながら、浮かれた豪華さを排し、それでいて、皆の存在感をきっちりと際立たせる(誰ひとりムダに思わせない)、見事な交通整理は、さすが、三谷さん(もちろん、役者さんの力もすごい)。ところどころの笑わせどころも、やはり、コメディライター、らしさがありました(つるちゃんの、流転しながら八面六臂の活躍は、「新選組!」の捨助かと(笑))。
昭和の事件や著名人を次々と折りこみながらの展開も面白く、シリアスなドラマであれば、途端に嘘くさくなるところ、コメディならではの“説得力”で、大胆に見せ切った感(「わが家の歴史」をコメディというわけではないけれど(笑))。なんというか、コメディのもつ可能性、そして、底力をみることができた気がします。
ビデオに録らなくて(そして、録りっぱなしにならなくて)、よかった。リアルタイムで見ることによる高揚感も感じることができたし(生放送じゃなくてもそういう感じってあるんだなぁ、と)、3日間、8時間超、テレビに捧げた甲斐が、十二分にありました。
三谷さんの新境地にして真骨頂のドラマだったと思います。
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新緑の仙台の街で、突如、起こった、首相暗殺事件。それは、発作的に起こされたものではなく、入念なシナリオのもと、ちゃんと、「犯人」まで用意されていた。
“おまえ、オズワルドにされるぞ”
大学時代の友人に呼び出され、現場に居合わせることになった男は、どうやら、自分が「犯人」に仕立て上げられているらしいことを知り、わけのわからないまま、逃げることに。執拗に追うのは警察、もしくは、もっと大きな存在か。
はたして、男は無実を証明することができるのか…?
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
観る前は、活劇的なものを予想していたのですが、それよりは、逃げる男、そして、彼とつながる(直接、間接、現在、過去問わず)人たちの姿を描いた、人間ドラマの要素が強かったように感じました。
そういった意味では、男を「犯人」に仕立て上げた黒幕の正体を、とりたてて明確にはせず、さらりと示唆するにとどめていたのも、ドラマの軸をぶれさせないために、かえって、よかったと思います。
主人公の逃げる男を演じるのは、堺雅人。
大河ドラマ「新選組!」以来、堺さんが好きで、今回も、ひさしぶりに映画を観ようと思ったのは、ストーリーもさることながら、堺さんの存在が大。いかにも人の良さそうな笑顔やいかにも人の良さそうな困惑顔が、そこへつながる人たちの必然を思わせます。
確かに、堺雅人が逃げるのなら、それは、活劇よりも人間ドラマなのでした。
登場人物それぞれに、しっかりとした存在感があり、また、なにげないシーンが、数々、伏線として後で生きてくる展開も絶妙で、見ごたえ充分。
ラストは、よく考えると、決して、ハッピーエンドとはいえないのだけど、それでも、さわやかで、後味のいい映画でした。
“おまえ、オズワルドにされるぞ”
大学時代の友人に呼び出され、現場に居合わせることになった男は、どうやら、自分が「犯人」に仕立て上げられているらしいことを知り、わけのわからないまま、逃げることに。執拗に追うのは警察、もしくは、もっと大きな存在か。
はたして、男は無実を証明することができるのか…?
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
観る前は、活劇的なものを予想していたのですが、それよりは、逃げる男、そして、彼とつながる(直接、間接、現在、過去問わず)人たちの姿を描いた、人間ドラマの要素が強かったように感じました。
そういった意味では、男を「犯人」に仕立て上げた黒幕の正体を、とりたてて明確にはせず、さらりと示唆するにとどめていたのも、ドラマの軸をぶれさせないために、かえって、よかったと思います。
主人公の逃げる男を演じるのは、堺雅人。
大河ドラマ「新選組!」以来、堺さんが好きで、今回も、ひさしぶりに映画を観ようと思ったのは、ストーリーもさることながら、堺さんの存在が大。いかにも人の良さそうな笑顔やいかにも人の良さそうな困惑顔が、そこへつながる人たちの必然を思わせます。
確かに、堺雅人が逃げるのなら、それは、活劇よりも人間ドラマなのでした。
登場人物それぞれに、しっかりとした存在感があり、また、なにげないシーンが、数々、伏線として後で生きてくる展開も絶妙で、見ごたえ充分。
ラストは、よく考えると、決して、ハッピーエンドとはいえないのだけど、それでも、さわやかで、後味のいい映画でした。
賛否両論、というか、否の方が多かった感もある(笑)、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のTVドラマ化。視聴率的にも、かなり、厳しい結果だったようで…。
自分は、結構、楽しく観ていました。
漫画の「こち亀」が、大好きでした。
単行本は、欠かさず、購入していて、でも、いつの間にか読まなくなっていて、気づけば、もう10年近く。
元々、原作もののドラマやアニメは好きではなく、だから、アニメの「こち亀」は観ていないのですが、原作から離れて、相当の期間がたっているせいで、いまは、思い入れはあるけどこだわりはない状態。
なので、TVドラマ化の話には、その無茶さ(笑)もあって、興味をもちました。
実写化にあたっての問題は、当然、それぞれ個性的なキャラクターを、誰が演じるか。
香取慎吾の両津勘吉役は、批判的な意見も多かったようですが、自分は、そういう解釈もありかと思ったし、その他の既存キャラクターも、うまく、あてていたように感じました。
特に、ゲストキャラは、著名な俳優を起用しつつ、キャラクターにぴったり。
日暮巡査の宮藤官九郎や、御所河原組長の西田敏行、白鳥麗次の稲垣吾郎に、本田速人のウッチャン…。
お見事(笑)!
強いてあげれば、両津・中川・麗子の主要三人が、もう少し、芸達者だったらなぁ、と(すみません(汗))。
イメージは、かなり、合ってたけど、良くも悪くも、“まじめ”で、ちょっと、色が薄かったような気もします。
ドタバタのお笑いで、最後に、ちょっと泣かせるストーリー展開も、自分好みでした。
確かに、ベタだったけど、ベタこそ王道なのです(笑)。
そのストーリーは、殊更、原作にこだわっていたわけでもなく、であれば、「こち亀」ではなくオリジナルでやってもよかったのかもしれませんが、となると、ドラマの世界観やキャラクターを定着させるのに時間がかかってしまうし、それはそれで、難しいところがあるのでしょう。
結局、「こち亀」のファンには受け入れられず、「こち亀」を知らない人には興味をもたれず、という結果になってしまったようで、当初はシリーズ化などという話もあったとのことですが、はたして、視聴率の結果をみた後では、どのような判断になるのやら…。
「こち亀」の“昔の”ファンとしては、「こち亀」のアナザーストーリーとして割り切れたので面白かったし、キャラクターもなじんできたし、ぜひとも、また、観てみたいのですが。
少数意見なんだろうなぁ(笑)。
自分は、結構、楽しく観ていました。
漫画の「こち亀」が、大好きでした。
単行本は、欠かさず、購入していて、でも、いつの間にか読まなくなっていて、気づけば、もう10年近く。
元々、原作もののドラマやアニメは好きではなく、だから、アニメの「こち亀」は観ていないのですが、原作から離れて、相当の期間がたっているせいで、いまは、思い入れはあるけどこだわりはない状態。
なので、TVドラマ化の話には、その無茶さ(笑)もあって、興味をもちました。
実写化にあたっての問題は、当然、それぞれ個性的なキャラクターを、誰が演じるか。
香取慎吾の両津勘吉役は、批判的な意見も多かったようですが、自分は、そういう解釈もありかと思ったし、その他の既存キャラクターも、うまく、あてていたように感じました。
特に、ゲストキャラは、著名な俳優を起用しつつ、キャラクターにぴったり。
日暮巡査の宮藤官九郎や、御所河原組長の西田敏行、白鳥麗次の稲垣吾郎に、本田速人のウッチャン…。
お見事(笑)!
強いてあげれば、両津・中川・麗子の主要三人が、もう少し、芸達者だったらなぁ、と(すみません(汗))。
イメージは、かなり、合ってたけど、良くも悪くも、“まじめ”で、ちょっと、色が薄かったような気もします。
ドタバタのお笑いで、最後に、ちょっと泣かせるストーリー展開も、自分好みでした。
確かに、ベタだったけど、ベタこそ王道なのです(笑)。
そのストーリーは、殊更、原作にこだわっていたわけでもなく、であれば、「こち亀」ではなくオリジナルでやってもよかったのかもしれませんが、となると、ドラマの世界観やキャラクターを定着させるのに時間がかかってしまうし、それはそれで、難しいところがあるのでしょう。
結局、「こち亀」のファンには受け入れられず、「こち亀」を知らない人には興味をもたれず、という結果になってしまったようで、当初はシリーズ化などという話もあったとのことですが、はたして、視聴率の結果をみた後では、どのような判断になるのやら…。
「こち亀」の“昔の”ファンとしては、「こち亀」のアナザーストーリーとして割り切れたので面白かったし、キャラクターもなじんできたし、ぜひとも、また、観てみたいのですが。
少数意見なんだろうなぁ(笑)。
渡辺文樹監督の「天皇伝説」、結局、観に行ってしまいました。
10月19日の関内ホール。この日は、横浜で4日間行われた上映会の最終日でした。
上映までに、すったもんだの、この映画。
横浜上映初日の14日、会場の横浜市開港記念会館まで、近くに来る用事があったついでに(実は、無理やり用事をつくって)、様子を見に行くと、周辺には多数の機動隊や警官、正面の道路は警察車両が横づけで車線封鎖、その周りを大音量で渡辺文樹批判を流して走る右翼の街宣車、と、かなり、緊迫した状況。
なので、当日は、緊張して、関内ホールへ向かったのですが、この日は、周囲に数人の警官、ロビーに鋭い目つきの人(これは勝手にそう思っただけかも)はいるものの、右翼の車は見当たらず。日曜の夜のビジネス街らしい静けさで、ほっとすると同時に、ちょっと拍子抜けでした。
観客は、思ったより多く、50~60人くらい。
映写機の前には渡辺文樹監督その人。自らが、映写機をまわします。
やがて、場内が暗くなり、渡辺監督の前口上。
いろいろと調べていくうちに、天皇は一子相伝ではないことを知った。これは映画だからアクションなどの要素もあるけれど、そのことはメッセージとして織り込んであるから、しっかり持ち帰ってほしい、と。
いよいよ、映画がスタート。
音声が聞きづらい…。
ナレーションの渡辺監督の声がこもって聞こえ、トーンが低くなると聞きとれない。実物の渡辺監督の声はよく通るのですが。
また、失敗だったのが、渡辺監督に引き寄せられるかのように、映写機の近くに座ってしまったこと。作動音が大きくて、これも、聞きとりにくい一因でした。
映画の内容は、無実の罪で捕まった男(渡辺文樹)が、なぜ自分が捕まることになったかを調べていくうちに、天皇に関する秘密にたどりつき、巨悪と対決する、といった感じ(たぶん)で、もちろん、フィクション。
渡辺監督が、持ち帰ってほしいと言っていた、天皇の“真実”は、途中途中のナレーションで語られるため、聞きとりにくくて、よくわからず。
よくわからないまま、映画は、敵との対決、つまりは、クライマックスへ。
ここでも、この人は敵らしい、というのは、なんとなく、わかるんだけど、どんな類の敵なのかが、いまひとつ、わからない。
展開も、また、よくわからない。なぜ、ここで、セスナ?なぜ、ここで、カーチェイス?なぜ、ここで、ロープウェイ?
きっと、声が聞きとれていても、わからなかったのではないかと。
でも、そんな、わかりにくさも、そして、映画というより単なるフィルムといった方がよさそうな家内制手工業感も、すべては覚悟の上。
なので、わからないなりに、結構、楽しめたと思います。皮肉ではなく純粋に(本当の本当に、純粋かと問い詰められると、少し困るかも)。
結局のところ、この人は、天皇について何か訴えたいというより、それをとっかかりに、面白い映画(しかも、あくまで自分が面白いと思う映画)がつくりたいだけなんだろうな、と。仮に、真剣に訴えてるとしても、そのリアリティは、後半の、手づくり感あふれるアクションシーンに、あっけなく、吹き飛ばされます。
そんな感じだから、上映するのしないので揉めるような映画とはいえないはずなのに、ここまで騒ぎが大きくなったのは、ひとえに、渡辺監督ならではの、はったりのせい。
例えば、確かな証拠なしに、現在の第二皇子を“不倫の子”なんていってしまうのは、天皇批判とか、そういう問題以前に、さすがに、たちが悪いんじゃないかと思います。
本来なら、こんなことにまで、「表現の自由」などという言葉を使うべきではないと思うのですが、こういった、いかがわしさ、というか、うさんくささ、というのも、ひょっとしたら、エンターテインメントのひとつの形としてありえるのかも、と思ったりして(例えば、東京スポーツの見出しみたいな(笑))、だとしたら、それを排除してしまうのも、なんだか味気ないような気もします。
まあ、どの辺まで許せるのかは、とても、難しいし、うさんくさいものだらけになっても困るわけなのですが。
横浜での4日間の上映会は、無事(?)に終了しましたが、続く、東京での上映会は、また、中止。
渡辺文樹監督の“たたかい”は、まだまだ、続くようです。
もっとも、その“たたかい”があるからこそ、作品が話題になって、ある意味、価値が上がるともいえそうで、渡辺監督としては、してやったりなのかもしれません。意識してるかどうかは、さておくとして。
10月19日の関内ホール。この日は、横浜で4日間行われた上映会の最終日でした。
上映までに、すったもんだの、この映画。
横浜上映初日の14日、会場の横浜市開港記念会館まで、近くに来る用事があったついでに(実は、無理やり用事をつくって)、様子を見に行くと、周辺には多数の機動隊や警官、正面の道路は警察車両が横づけで車線封鎖、その周りを大音量で渡辺文樹批判を流して走る右翼の街宣車、と、かなり、緊迫した状況。
なので、当日は、緊張して、関内ホールへ向かったのですが、この日は、周囲に数人の警官、ロビーに鋭い目つきの人(これは勝手にそう思っただけかも)はいるものの、右翼の車は見当たらず。日曜の夜のビジネス街らしい静けさで、ほっとすると同時に、ちょっと拍子抜けでした。
観客は、思ったより多く、50~60人くらい。
映写機の前には渡辺文樹監督その人。自らが、映写機をまわします。
やがて、場内が暗くなり、渡辺監督の前口上。
いろいろと調べていくうちに、天皇は一子相伝ではないことを知った。これは映画だからアクションなどの要素もあるけれど、そのことはメッセージとして織り込んであるから、しっかり持ち帰ってほしい、と。
いよいよ、映画がスタート。
音声が聞きづらい…。
ナレーションの渡辺監督の声がこもって聞こえ、トーンが低くなると聞きとれない。実物の渡辺監督の声はよく通るのですが。
また、失敗だったのが、渡辺監督に引き寄せられるかのように、映写機の近くに座ってしまったこと。作動音が大きくて、これも、聞きとりにくい一因でした。
映画の内容は、無実の罪で捕まった男(渡辺文樹)が、なぜ自分が捕まることになったかを調べていくうちに、天皇に関する秘密にたどりつき、巨悪と対決する、といった感じ(たぶん)で、もちろん、フィクション。
渡辺監督が、持ち帰ってほしいと言っていた、天皇の“真実”は、途中途中のナレーションで語られるため、聞きとりにくくて、よくわからず。
よくわからないまま、映画は、敵との対決、つまりは、クライマックスへ。
ここでも、この人は敵らしい、というのは、なんとなく、わかるんだけど、どんな類の敵なのかが、いまひとつ、わからない。
展開も、また、よくわからない。なぜ、ここで、セスナ?なぜ、ここで、カーチェイス?なぜ、ここで、ロープウェイ?
きっと、声が聞きとれていても、わからなかったのではないかと。
でも、そんな、わかりにくさも、そして、映画というより単なるフィルムといった方がよさそうな家内制手工業感も、すべては覚悟の上。
なので、わからないなりに、結構、楽しめたと思います。皮肉ではなく純粋に(本当の本当に、純粋かと問い詰められると、少し困るかも)。
結局のところ、この人は、天皇について何か訴えたいというより、それをとっかかりに、面白い映画(しかも、あくまで自分が面白いと思う映画)がつくりたいだけなんだろうな、と。仮に、真剣に訴えてるとしても、そのリアリティは、後半の、手づくり感あふれるアクションシーンに、あっけなく、吹き飛ばされます。
そんな感じだから、上映するのしないので揉めるような映画とはいえないはずなのに、ここまで騒ぎが大きくなったのは、ひとえに、渡辺監督ならではの、はったりのせい。
例えば、確かな証拠なしに、現在の第二皇子を“不倫の子”なんていってしまうのは、天皇批判とか、そういう問題以前に、さすがに、たちが悪いんじゃないかと思います。
本来なら、こんなことにまで、「表現の自由」などという言葉を使うべきではないと思うのですが、こういった、いかがわしさ、というか、うさんくささ、というのも、ひょっとしたら、エンターテインメントのひとつの形としてありえるのかも、と思ったりして(例えば、東京スポーツの見出しみたいな(笑))、だとしたら、それを排除してしまうのも、なんだか味気ないような気もします。
まあ、どの辺まで許せるのかは、とても、難しいし、うさんくさいものだらけになっても困るわけなのですが。
横浜での4日間の上映会は、無事(?)に終了しましたが、続く、東京での上映会は、また、中止。
渡辺文樹監督の“たたかい”は、まだまだ、続くようです。
もっとも、その“たたかい”があるからこそ、作品が話題になって、ある意味、価値が上がるともいえそうで、渡辺監督としては、してやったりなのかもしれません。意識してるかどうかは、さておくとして。
禍々しい絵柄が人目をひく、電柱にぶっきらぼうにくくりつけられた、映画の上映会を告知するポスター。
ああ、渡辺文樹監督がこの町に来たんだ、と思い、動向をネットで調べてみたら、なかなか、大変なことになっているようで。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
渡辺文樹監督を知ったのは、おそらく、10年以上前のこと。
きっかけは、旅先の町で、思いがけず目に入ってきた、気味の悪い、映画上映会の告知ポスターでした。
「バリゾーゴン」と題された、その映画は、タイトルもさることながら、ポスターの絵柄が、とにかく、不気味。
しかも、キャッチは、「原発のある村。女教員は便槽の若い青年の腐乱死体を愛していた…」。
だめを押すように、ポスターの上に無造作に貼られたお札のような紙に、「失神者続出!!」などの、お告げのような煽り文句。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
グロは苦手にも関わらず、あまりの型破りに興味がわいたのですが、上映日は、もう、その土地にはいない日。
半分残念、半分ほっとして、歩き出すと、そのポスターが、町のあちこちに貼られていて、次から次へと、あらわれる有様。
さわやかな青空とのどかな町並みの中、その不気味なポスターが、異様な存在感を放って点在する光景は、旅の思い出をすべて上書きしてしまうほどのインパクトでした。
それからしばらく後、その「バリゾーゴン」が、東京の小さな映画館で単館上映されることになりました。
「バリゾーゴン」。それは、あの旅の忘れ物。
本当にグロは苦手なのですが、意を決して、観に行くことにしました。
が、しかし、そんな心配は、ほんのひとかけらも、必要のないものだったのです…。
内容は、実際に起きた青年の事故死を、原発の利権がからんだ殺人事件ではないかと疑う渡辺監督が、村の関係者を追求していく、再現ドラマも交えたセミドキュメンタリーとでもいうもの。
実在の人物を相手にする緊迫感はありますが、キャッチのようなグロでは、まるで、なく、煽り文句のように失神すべきところも、ひとつも、なし。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
まあ、有り体にいえば、“だまされた”ということです。
映画が終わった後の、どんより淀んだ、気分の悪さ。
でも、それは、だまされたからというよりは(それもあるけど)、ドキュメンタリーというには、さっぱり内容が伝わってこない、それでいて、強烈に漂う、得体の知れない迫力にあてられた、という感じでしょうか。
そういう意味では、あのポスターの不気味さは、あながち、的外れなものではないのかも。
なんにせよ、もう二度と、関わりはもちたくないものだと思いました。
それから、ずいぶんと時は流れ、今から1年半ほど前。
突然、思い浮かんだのが、“あの不愉快な映画って、なんだったっけ…”
なぜ、そんなことを思い出したのか、まったくもって、わかりません。
映画のタイトルも監督名も思い出せず、どうにもこうにも気になって、どこかにしまってあるはずのパンフレットを引っ張り出そうとまでしていた矢先、見かけてしまったのです。電柱にくくりつけられた、不気味なポスターを。
それは、映画の上映会の告知ポスターで、タイトルは「御巣鷹山」。
そのタイトルこそ初耳でしたが、ポスターのテイストを見た瞬間、間違いなく、この人だと確信しました。
思わぬ“再会”に、渡辺文樹監督への興味がわき(喉元過ぎれば…)、いろいろとネットで調べる、熱の入りよう。作品の上映は各地をまわって単発で行うのが常であることや、不気味なポスターを貼りまくるのは渡辺監督の常套手段であることは、このときに知りました。
しかし、情報を収集しているうちに、そのあくの強さに、だんだんと、お腹いっぱいになってきてしまい、行く気満々だった上映会も、結局のところは、観ることのないまま、やがて、次の土地へと去っていきました。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
そんないきさつがありながら、今回のポスター発見が、3度目の“出会い”。
今度の映画は、「天皇伝説」。
前回の“再会”から、それほど間がないこともあるのでしょうが、今回は、あまり、情熱がわいてきません。
そもそも、内容が内容だからか、いろいろあるようで、上映されるかどうかも微妙な状況だし。
歳をとって、好奇心とか冒険心(渡辺監督の映画を観るのはまさに冒険)といったものが、だんだん、衰えてきてるのかもしれません。「バリゾーゴン」を観に行った、あの勇気(笑)が、懐かしい。
それとも、ようやく、分別がつくようになってきた、ということでしょうかね。
ああ、渡辺文樹監督がこの町に来たんだ、と思い、動向をネットで調べてみたら、なかなか、大変なことになっているようで。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
渡辺文樹監督を知ったのは、おそらく、10年以上前のこと。
きっかけは、旅先の町で、思いがけず目に入ってきた、気味の悪い、映画上映会の告知ポスターでした。
「バリゾーゴン」と題された、その映画は、タイトルもさることながら、ポスターの絵柄が、とにかく、不気味。
しかも、キャッチは、「原発のある村。女教員は便槽の若い青年の腐乱死体を愛していた…」。
だめを押すように、ポスターの上に無造作に貼られたお札のような紙に、「失神者続出!!」などの、お告げのような煽り文句。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
グロは苦手にも関わらず、あまりの型破りに興味がわいたのですが、上映日は、もう、その土地にはいない日。
半分残念、半分ほっとして、歩き出すと、そのポスターが、町のあちこちに貼られていて、次から次へと、あらわれる有様。
さわやかな青空とのどかな町並みの中、その不気味なポスターが、異様な存在感を放って点在する光景は、旅の思い出をすべて上書きしてしまうほどのインパクトでした。
それからしばらく後、その「バリゾーゴン」が、東京の小さな映画館で単館上映されることになりました。
「バリゾーゴン」。それは、あの旅の忘れ物。
本当にグロは苦手なのですが、意を決して、観に行くことにしました。
が、しかし、そんな心配は、ほんのひとかけらも、必要のないものだったのです…。
内容は、実際に起きた青年の事故死を、原発の利権がからんだ殺人事件ではないかと疑う渡辺監督が、村の関係者を追求していく、再現ドラマも交えたセミドキュメンタリーとでもいうもの。
実在の人物を相手にする緊迫感はありますが、キャッチのようなグロでは、まるで、なく、煽り文句のように失神すべきところも、ひとつも、なし。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
まあ、有り体にいえば、“だまされた”ということです。
映画が終わった後の、どんより淀んだ、気分の悪さ。
でも、それは、だまされたからというよりは(それもあるけど)、ドキュメンタリーというには、さっぱり内容が伝わってこない、それでいて、強烈に漂う、得体の知れない迫力にあてられた、という感じでしょうか。
そういう意味では、あのポスターの不気味さは、あながち、的外れなものではないのかも。
なんにせよ、もう二度と、関わりはもちたくないものだと思いました。
それから、ずいぶんと時は流れ、今から1年半ほど前。
突然、思い浮かんだのが、“あの不愉快な映画って、なんだったっけ…”
なぜ、そんなことを思い出したのか、まったくもって、わかりません。
映画のタイトルも監督名も思い出せず、どうにもこうにも気になって、どこかにしまってあるはずのパンフレットを引っ張り出そうとまでしていた矢先、見かけてしまったのです。電柱にくくりつけられた、不気味なポスターを。
それは、映画の上映会の告知ポスターで、タイトルは「御巣鷹山」。
そのタイトルこそ初耳でしたが、ポスターのテイストを見た瞬間、間違いなく、この人だと確信しました。
思わぬ“再会”に、渡辺文樹監督への興味がわき(喉元過ぎれば…)、いろいろとネットで調べる、熱の入りよう。作品の上映は各地をまわって単発で行うのが常であることや、不気味なポスターを貼りまくるのは渡辺監督の常套手段であることは、このときに知りました。
しかし、情報を収集しているうちに、そのあくの強さに、だんだんと、お腹いっぱいになってきてしまい、行く気満々だった上映会も、結局のところは、観ることのないまま、やがて、次の土地へと去っていきました。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
そんないきさつがありながら、今回のポスター発見が、3度目の“出会い”。
今度の映画は、「天皇伝説」。
前回の“再会”から、それほど間がないこともあるのでしょうが、今回は、あまり、情熱がわいてきません。
そもそも、内容が内容だからか、いろいろあるようで、上映されるかどうかも微妙な状況だし。
歳をとって、好奇心とか冒険心(渡辺監督の映画を観るのはまさに冒険)といったものが、だんだん、衰えてきてるのかもしれません。「バリゾーゴン」を観に行った、あの勇気(笑)が、懐かしい。
それとも、ようやく、分別がつくようになってきた、ということでしょうかね。
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