人生とオムレツは、タイミングが大事
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禍々しい絵柄が人目をひく、電柱にぶっきらぼうにくくりつけられた、映画の上映会を告知するポスター。
ああ、渡辺文樹監督がこの町に来たんだ、と思い、動向をネットで調べてみたら、なかなか、大変なことになっているようで。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
渡辺文樹監督を知ったのは、おそらく、10年以上前のこと。
きっかけは、旅先の町で、思いがけず目に入ってきた、気味の悪い、映画上映会の告知ポスターでした。
「バリゾーゴン」と題された、その映画は、タイトルもさることながら、ポスターの絵柄が、とにかく、不気味。
しかも、キャッチは、「原発のある村。女教員は便槽の若い青年の腐乱死体を愛していた…」。
だめを押すように、ポスターの上に無造作に貼られたお札のような紙に、「失神者続出!!」などの、お告げのような煽り文句。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
グロは苦手にも関わらず、あまりの型破りに興味がわいたのですが、上映日は、もう、その土地にはいない日。
半分残念、半分ほっとして、歩き出すと、そのポスターが、町のあちこちに貼られていて、次から次へと、あらわれる有様。
さわやかな青空とのどかな町並みの中、その不気味なポスターが、異様な存在感を放って点在する光景は、旅の思い出をすべて上書きしてしまうほどのインパクトでした。
それからしばらく後、その「バリゾーゴン」が、東京の小さな映画館で単館上映されることになりました。
「バリゾーゴン」。それは、あの旅の忘れ物。
本当にグロは苦手なのですが、意を決して、観に行くことにしました。
が、しかし、そんな心配は、ほんのひとかけらも、必要のないものだったのです…。
内容は、実際に起きた青年の事故死を、原発の利権がからんだ殺人事件ではないかと疑う渡辺監督が、村の関係者を追求していく、再現ドラマも交えたセミドキュメンタリーとでもいうもの。
実在の人物を相手にする緊迫感はありますが、キャッチのようなグロでは、まるで、なく、煽り文句のように失神すべきところも、ひとつも、なし。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
まあ、有り体にいえば、“だまされた”ということです。
映画が終わった後の、どんより淀んだ、気分の悪さ。
でも、それは、だまされたからというよりは(それもあるけど)、ドキュメンタリーというには、さっぱり内容が伝わってこない、それでいて、強烈に漂う、得体の知れない迫力にあてられた、という感じでしょうか。
そういう意味では、あのポスターの不気味さは、あながち、的外れなものではないのかも。
なんにせよ、もう二度と、関わりはもちたくないものだと思いました。
それから、ずいぶんと時は流れ、今から1年半ほど前。
突然、思い浮かんだのが、“あの不愉快な映画って、なんだったっけ…”
なぜ、そんなことを思い出したのか、まったくもって、わかりません。
映画のタイトルも監督名も思い出せず、どうにもこうにも気になって、どこかにしまってあるはずのパンフレットを引っ張り出そうとまでしていた矢先、見かけてしまったのです。電柱にくくりつけられた、不気味なポスターを。
それは、映画の上映会の告知ポスターで、タイトルは「御巣鷹山」。
そのタイトルこそ初耳でしたが、ポスターのテイストを見た瞬間、間違いなく、この人だと確信しました。
思わぬ“再会”に、渡辺文樹監督への興味がわき(喉元過ぎれば…)、いろいろとネットで調べる、熱の入りよう。作品の上映は各地をまわって単発で行うのが常であることや、不気味なポスターを貼りまくるのは渡辺監督の常套手段であることは、このときに知りました。
しかし、情報を収集しているうちに、そのあくの強さに、だんだんと、お腹いっぱいになってきてしまい、行く気満々だった上映会も、結局のところは、観ることのないまま、やがて、次の土地へと去っていきました。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
そんないきさつがありながら、今回のポスター発見が、3度目の“出会い”。
今度の映画は、「天皇伝説」。
前回の“再会”から、それほど間がないこともあるのでしょうが、今回は、あまり、情熱がわいてきません。
そもそも、内容が内容だからか、いろいろあるようで、上映されるかどうかも微妙な状況だし。
歳をとって、好奇心とか冒険心(渡辺監督の映画を観るのはまさに冒険)といったものが、だんだん、衰えてきてるのかもしれません。「バリゾーゴン」を観に行った、あの勇気(笑)が、懐かしい。
それとも、ようやく、分別がつくようになってきた、ということでしょうかね。
ああ、渡辺文樹監督がこの町に来たんだ、と思い、動向をネットで調べてみたら、なかなか、大変なことになっているようで。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
渡辺文樹監督を知ったのは、おそらく、10年以上前のこと。
きっかけは、旅先の町で、思いがけず目に入ってきた、気味の悪い、映画上映会の告知ポスターでした。
「バリゾーゴン」と題された、その映画は、タイトルもさることながら、ポスターの絵柄が、とにかく、不気味。
しかも、キャッチは、「原発のある村。女教員は便槽の若い青年の腐乱死体を愛していた…」。
だめを押すように、ポスターの上に無造作に貼られたお札のような紙に、「失神者続出!!」などの、お告げのような煽り文句。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
グロは苦手にも関わらず、あまりの型破りに興味がわいたのですが、上映日は、もう、その土地にはいない日。
半分残念、半分ほっとして、歩き出すと、そのポスターが、町のあちこちに貼られていて、次から次へと、あらわれる有様。
さわやかな青空とのどかな町並みの中、その不気味なポスターが、異様な存在感を放って点在する光景は、旅の思い出をすべて上書きしてしまうほどのインパクトでした。
それからしばらく後、その「バリゾーゴン」が、東京の小さな映画館で単館上映されることになりました。
「バリゾーゴン」。それは、あの旅の忘れ物。
本当にグロは苦手なのですが、意を決して、観に行くことにしました。
が、しかし、そんな心配は、ほんのひとかけらも、必要のないものだったのです…。
内容は、実際に起きた青年の事故死を、原発の利権がからんだ殺人事件ではないかと疑う渡辺監督が、村の関係者を追求していく、再現ドラマも交えたセミドキュメンタリーとでもいうもの。
実在の人物を相手にする緊迫感はありますが、キャッチのようなグロでは、まるで、なく、煽り文句のように失神すべきところも、ひとつも、なし。
これは、いったい、どんな映画なんだ、と…。
まあ、有り体にいえば、“だまされた”ということです。
映画が終わった後の、どんより淀んだ、気分の悪さ。
でも、それは、だまされたからというよりは(それもあるけど)、ドキュメンタリーというには、さっぱり内容が伝わってこない、それでいて、強烈に漂う、得体の知れない迫力にあてられた、という感じでしょうか。
そういう意味では、あのポスターの不気味さは、あながち、的外れなものではないのかも。
なんにせよ、もう二度と、関わりはもちたくないものだと思いました。
それから、ずいぶんと時は流れ、今から1年半ほど前。
突然、思い浮かんだのが、“あの不愉快な映画って、なんだったっけ…”
なぜ、そんなことを思い出したのか、まったくもって、わかりません。
映画のタイトルも監督名も思い出せず、どうにもこうにも気になって、どこかにしまってあるはずのパンフレットを引っ張り出そうとまでしていた矢先、見かけてしまったのです。電柱にくくりつけられた、不気味なポスターを。
それは、映画の上映会の告知ポスターで、タイトルは「御巣鷹山」。
そのタイトルこそ初耳でしたが、ポスターのテイストを見た瞬間、間違いなく、この人だと確信しました。
思わぬ“再会”に、渡辺文樹監督への興味がわき(喉元過ぎれば…)、いろいろとネットで調べる、熱の入りよう。作品の上映は各地をまわって単発で行うのが常であることや、不気味なポスターを貼りまくるのは渡辺監督の常套手段であることは、このときに知りました。
しかし、情報を収集しているうちに、そのあくの強さに、だんだんと、お腹いっぱいになってきてしまい、行く気満々だった上映会も、結局のところは、観ることのないまま、やがて、次の土地へと去っていきました。
- ☆ ・ ☆ ・ ☆ -
そんないきさつがありながら、今回のポスター発見が、3度目の“出会い”。
今度の映画は、「天皇伝説」。
前回の“再会”から、それほど間がないこともあるのでしょうが、今回は、あまり、情熱がわいてきません。
そもそも、内容が内容だからか、いろいろあるようで、上映されるかどうかも微妙な状況だし。
歳をとって、好奇心とか冒険心(渡辺監督の映画を観るのはまさに冒険)といったものが、だんだん、衰えてきてるのかもしれません。「バリゾーゴン」を観に行った、あの勇気(笑)が、懐かしい。
それとも、ようやく、分別がつくようになってきた、ということでしょうかね。
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